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【特別インタビュー】 「民主主義」に挑むアントレプレナーシップとは? — Liquitous 栗本拓幸さん|ASIBA

【特別インタビュー】 「民主主義」に挑むアントレプレナーシップとは? — Liquitous 栗本拓幸さん|ASIBA

── 11月21日(金)、渋谷QWSで開催する1dayカンファレンス「Towards Creative Entrepreneurship ークリエイティブ領域における社会実装の可能性と、その方法論を問う」。今回は、その第2部「動かない社会をどう動かすか 構造に挑むためのアントレプレナーシップとは?」に登壇されるLiquitous・栗本拓幸さんにお話を伺います。

栗本拓幸 株式会社Liquitous 1999年生まれ、NPO法人・一般社団法人理事を経て、2020年に株式会社Liquitousを起業。「一人ひとりの影響力を発揮できる社会」を目指し、自治体におけるデジタル民主主義の基盤として、市民参画プラットフォーム「Liqlid」を開発。現在、京都市・日野市などの日本国内や中部ジャワ州ペカロンガン市などインドネシア共和国内の自治体などと協働。総務省 地方公共団体の経営財務マネジメント強化事業アドバイザー、大阪府・大阪公立大学「合意形成研究会」構成員など。

「破壊的」ではない領域のアントレプレナーシップ

ASIBA 髙野: 世の中でアントレプレナーシップとして成立しているものの多くは「破壊的」であるからこそ、急速な成長へ期待する資金が集まります。それに対し、栗本さんはマーケットが存在しない、変化しにくい領域に対してアントレプレナーシップを向けていらっしゃる。そうした試みを増やしていくには、何が必要だと思われますか?

栗本: アントレプレナーシップという言葉で行政組織内での変革を表現するのは非常に面白い視点です。個人的には、自治体の中で我々のプロダクトを導入し、何か新しい取り組みを始めようとすることはディスラプティブなものではないですが、より高いレベルのアントレプレナーシップが求められると考えています。 アントレプレナーシップにおいては「レジリエンス(再起力・粘り強さ)」が重要だとよく言われます。一般的なスタートアップシーンであれば、資金供給者が100人いたとして、極論すれば100人中1人がYESと言えば、資金を得て前に進むことができます。

しかし、行政機構においては100人中100人が「YES」と言わなければ、物事は前に進みません。そのプロセスの中で求められるアントレプレナーシップ、特にレジリエンスの部分は、民間企業のそれよりもはるかに困難を伴うと感じています。 そして、まさにこの部分こそが、今日本が変えられていない領域ではないでしょうか。日本は未だ世界有数の民間企業がいくつもあり、民間サービスとして提供できる部分についてはそれなりのスピードで変化してきました。世界最先端かは別として、必要なサービスは国内に存在しローカライズもされています。 ではどこが遅れているのか。それはこの「100人中100人が合意しないと物事が動かない」領域です。自治体のやり方や、法規制といった領域の変化のスピードがあまりにも遅いと感じています。だからこそ従来の破壊的創造とは異なる、より高いレジリエンスと合意形成能力を要する「変えにくいものを変えていくためのアントレプレナーシップ」が広がっていかなければ日本がより良く変わっていくチャンスを失うことにもなりかねません。

能率性と民主性のバランス

ASIBA 髙野: 少し別の文脈で、行政に対する市民からの要求には、公平性と能率性という、矛盾した2つの欲求があると言われています。この2つは相反することがあり、このバランスをどう取るか、あるいはどう止揚していくかが非常に大きなテーマだと考えています。栗本さんは「市民参加」という立場から、この二律背反をどのように捉え、アプローチしようとされているのか、お聞かせいただけますか。

栗本: 非常に大事な視点だと思います。基本的な発想からお伝えしますと、そもそも日本の地方自治法は、その第一条において、地方自治体が「能率性」と「民主性」の両方を両立させることを求めています。 私は行政改革などの文脈で「能率性」が語られることは多々あれど、それが「民主的であるか」という視点が語られることは、これまで非常に少なかったのではないかと考えています。純粋に議論の総量として、その部分が足りていないというのが基本的な発想の1つ目です。

2つ目がコストの問題です。従来、合意形成や市民参加を「手続き論」として真面目に実行しようとすると、経済的コストも時間的コストも膨大にかかっていました。理念的には大事だと分かっていても、調整コストや民主主義のコストを重んじるあまり、最終的により多くのコストがかかるのであればそこは見過ごしても仕方ないのではないかというのが今までの主要な議論だったと思います。 しかし、テクノロジーがその前提を変えました。テクノロジーの介在によって、これまでと同じ経済的・時間的コスト、あるいはそれ以下で、より複層的に、より深く、そしてより丁寧に合意形成や民主的なプロセスに時間をかけられるようになっています。 分かりやすく言えば、従来「1万人の声を聞こう」となったとき、声を集めることはできても、それらを分析する瞬間に、人海戦術でしか論点を抽出できませんでした。それが今や、AIを使って分析できます。あるいは、より多様な人たちからライトに意見を聞きたいという時も、従来のように駅前にテントを立ててアンケートを取るといった形式以外の手法も使えるようになりました。 今までと同じかそれ以下のコストで、より丁寧に合意形成ができるのであればやらない理由はないというのが私たちの基本的なスタンスです。

分極化の時代における市民参加ツールの役割

ASIBA 髙野: 現代は、日本社会も世界的に見ても、市民間での意見のスペクトラムが広がり、分極化が進んでいると感じます。合意可能性や他者への想像力が低下している時代において、市民参加のツールはどのような役割を果たし、何ができるとお考えですか?

栗本: まず、「分極化が起こっている」という事実を行政が正しく認識することが何よりも必要です。 意見の分極化は様々な軸で起こり得るはずですが、日本の地方自治体全般に、そもそもそうした意見の幅があること自体を認識できていないケースが非常に多いのです。 分かりやすい例が審議会のあり方です。例えば、公募委員を平日の日中に開催する審議会に集めるとした場合、そのチャネルから参加できる市民の属性は、当然ながら極めて限定的になります。現役世代は原則参加できず、結果として特定の属性に偏ってしまう。既存のチャネルのままでは、聞こえてくる声がずっと変わらないため、「市民の間に分断や分極化は起きていない」と錯覚してしまう。日本の多くの地方公共団体が、この錯覚に陥っている可能性があります。 チャネルのあり方を変え、より幅広く参加できる仕組みを作れば、聞こえる声は必ず変わります。まずはその変化を自治体自身が認識することが、第一歩だと考えます。

第2に、私たちが主にご一緒している基礎自治体、つまり市町村で主に扱われるテーマは基本的に「生活課題」です。 生活課題について、ネット上の言論のように完全な分極化が起こるかというと、もちろんゼロではありません。しかし一方で、私たちは「生活環境を共有している」という強みがあります。生身の人間として、身体性を持って日々生活しているからこそ共有できる「身体知」が必ず存在するはずです。身体知を共有できるテーマについては、意見のばらつきはあったとしても、そこには対話可能性が残されていると強く感じています。 例えば、地域の病院のあり方を検討する際、意見は「廃止すべき」「指定管理にすべき」「公営で残すべき」と分かれるかもしれません。しかし、「何らかの医療リソースがあった方がより安心に暮らせる」という点においては、共通理解を見出せる可能性があります。

そして3点目ですが、この「対話」の部分にこそ、技術が貢献できると考えています。 確かに、これまでの基本的な語りとして、SNSのアルゴリズム(エコーチェンバーなど)は、人々をより分極化させるものでした。私も、現在のXやTikTokなどが、対話や熟議を発展させる方向に寄与するとは思いません。しかし「あれらがそうだから」といって、テクノロジー全般が人々を対話から遠ざけ、可能性を閉ざすと結論づけて良いのでしょうか。 私たちは現在、複数の企業と共同で既存のSNSアルゴリズムとは異なるアプローチを試みています。特定個人の深層ニーズを掘り起こす会話の仕組みや、投票システムなどを組み合わせて、最も妥協可能性が高い案を示唆する仕組みなどです。 私はこれらを「カウンターアルゴリズム」と呼んでいます。既存のアルゴリズムとは違った指向性でアルゴリズムを設計することで、人々の対話のとっかかりを作ることができる可能性がまだあるのではないかと信じています。 これらの点を踏まえ、分極化が進むこの時代においても、私たちの取り組みには意味があるのではないかと考えています。

ASIBA 髙野: ありがとうございます。特に2点目のフィジカルな空間やローカル性の強み、つまり身体知の共有が対話可能性を担保するというお話は、建築や都市計画の領域で私たちが常々議論していることと非常に近く、驚きました。他の領域の方から同じ指摘を聞くことで、その確度が高まったように感じます。

「ググれない情報」の価値

ASIBA 髙野: 現代において「クリエイティブであること」が、個人の幸福や社会の発展にとって重要であるという議論があります。この点について、民主主義とクリエイティビティは、どのような関係性にあるとお考えでしょうか。民主主義は、人々がクリエイティブであるために何ができますか?

栗本: 前提として、民主主義の根幹は「手続き」にあります。例えば市民参加の取り組みは、民主的な議論における「2つの正当性」、つまり「Rightness」と「Legitimacy」を担保するためにある、と整理されてきました。もちろん、その2つの意義が消えることはありません。 一方で、それを別の観点から評価するとき、手続き以外の目的性を、民主主義的な営み(手続き)の中に見出すことが重要だと考えています。

クリエイティビティについて考えれば、これからの時代は、地域固有の記憶やナラティブを言語化するプロセスがなければ、クリエイティブであれない時代になっていくはずです。地域の固有性を持たない汎用的な答えであれば、ChatGPTに聞けば分かります。しかし、何らかの地域固有の答えをAIに求めようとするならば、その地域にしかない様々な記憶、語り、ナラティブを、人間が言語化してインプットしなければなりません。 そうした地域固有の情報は、Googleで検索しても出てきません。誰かがデータにしなければならない。そう考えた時に、「民主主義的な営み」が、そのデータを生成するプロセスとして評価できるのではないか、という発想があってよいはずです。 従来、市民参加やワークショップは、正面からの手続き論、つまり「ここで説明したから良い」というアリバイ作りの側面が否めませんでした。市民がそこで何を言ったとしても、それはガス抜きであり、細かく見る必要はない、と。 しかしそこで表出されたひとつひとつの語りや記憶こそが、AIを活用する上での非常に重要な「元のデータ」になるはずです。

民主主義的な取り組みは、面倒でコストがかかる一方で、ある種の「半強制性」を持ちます。例えば、行政が主催するワークショップには、民間主催では決して集まらないような、普段は同じテーブルにつかないような多様な人々が集まる力があります。 そうした民主的な手続きだからこそ生まれるコミュニケーションがあり、そこから生まれたものを、AI活用であれ何であれ、様々な場所に活かしていく。市民参加で得られた思いや記憶をストックしていくことが、新しいことを考えていく「源泉」になるのではないかと感じています。 地域のことを語らせた時、市民の皆さんの目線は本当に素晴らしいものがあります。生活空間から物事を見ているからこそ、行政では出てこない発想や、その地域に住んでいる人しか語れない固有の記憶・歴史があります。手続き論としてだけでなく、物事のクオリティを上げるためにも市民の皆さんの視点は不可欠です。

一方で現状の課題として、市民がせっかく意見を言っても、「それが何になったのか」というフィードバックが現状、あまりにも不足しています。手続きとして反映されるなり、あるいは参加したことによって何か新しいものが生み出されるなり、参加したことへのフィードバックがあまりにも薄いのです。 もちろん、究極的には直接請求のあり方や参加型予算編成など、手続きそのものを変えていく議論も必要です。しかし、一足飛びにそこまで行かないまでも、まずは集めた声から何か小さなクリエイションを生み出してみること。既存の枠内でできる小さなクリエーションを積み重ね、「自分の参加には意味があった」というフィードバックを早めに市民に返していくことが、今、非常に重要だと考えています。 まだ多くの地域で、行政は多少なりとも信頼されています。選挙の投票率が低いと言っても、最低でも地域の30%の人が参加するイベントなど、選挙以外にはありません。しかし、この信頼が失われ、「行政に何を言ってもどうせ変わらない」という状況になってしまえば、本当にもう取り返しがつかない。そうなる未来も、同時に近いと感じています。 だからこそ、なるべく早い段階で、「参加したことによって、何かがクリエイションされた」というフィードバックを、多くの地域で作っていかなければならないと、日々強く感じています。

私の役割は「民主主義の変革」

ASIBA 髙野: ありがとうございます。今回栗本さんは「アントレプレナー」としてゲストにお呼びしていますが、論文を書く「研究者」としての一面、政治的な立場を意識する「活動家」としての一面、技術を用いる「サイエンティスト」や「エンジニア」としての一面もお持ちです。ご自身の自己認識、自己定義として、どの役割が一番近いとお考えですか?

栗本: 難しいですね。「社会起業家」と呼ばれることもありますが、今の株式会社を設立する前、一般社団法人やNPOを運営していた時期もあります。その上で、今は「株式会社」という法人格を選んで「起業家」として活動しています。ですが、これで大儲けをしようというモチベーションは全くないので、純粋なスタートアップ起業家ですという自己紹介で本当に良いのか、というためらいは常にあります。かといって、市民セクターで頑張る、というのも、日本社会では非常に困難が伴うことを知っているので、そちら側だとも言い切れない。

その上で、私が一番意識しているのは、「実践を現場でし続ける」ことです。現場で様々な調整を行い、新しい仕組みや制度の芽を作る。これは私の得意とするところですが、それを現場で広げつつ、同時にそこで得られた知見をきちんと蓄積していく。この両方をやらなければならないと思っています。 ですから、単に事業効率性を意識するのではなく、「現場で新しい制度や仕組みを作る」ことに時間を割く意識が非常に強いです。サービスが売れれば良い、とも思っていません。やるからには、時間がかかっても、仕組みや制度が変わるきっかけまでは作りたい。 そして同時に、そこで得た知見を、自社で囲い込むのではなく、適切な形で社会に還元していく。この「実践」と「知見のストック(と還元)」の2軸が、私の中では非常に強いです。一般的な起業家よりは、はるかに「制度や仕組みをどう作るか」という、儲からない部分に時間を割こうとする意識が強い。 ですから、「〇〇家」という的確な表現は未だ見つかっていませんが、もし一言で言うならば、「民主主義の変革に対してコミットしている」という意識が、自分の中で最も強いものです。

ASIBA 髙野: それでは最後に、当日のセッションで他の登壇者の皆さんと議論したいことがあれば教えていただけますか?

栗本: 議論したいポイントは2つあります。 1つは、「誰と一緒に変革の兆しを生み出していくべきか」という点です。 例えば、他の登壇者の方々も行政とお仕事をされているかと思いますが、常に行政と一緒にやることが正しいテーマ設定なのか。特にデザインや公共のあり方を考える上で、そうではないケースもあると思うのです。私自身、「新しい公共」が専門ですが、新しい公共のあり方を考えたいという時に、「自治体と一緒にやります」というアプローチが、果たして本当に「新しい理念」に沿っているのか。 かつて「公共性は官の独占物ではない」と謳われたにもかかわらず、結局は行政機構と一緒に公共のあり方を考えていくことが、本当に正しいのか。正しさや理念はともかくとして、現実に物事を動かす主体は誰なのか。その点について議論したいのが一点目です。

もう1つは、「世の中を変えていく時に、何から始めるのが最も効果的なのか」という点です。 これに唯一の答えはないでしょうし、それぞれの立場や取り組みによっても異なるとは思います。例えば人材育成から始めるケースもあれば、場をつくることから始めるケース、関係者のマインドセットを変えることから始めるケースもある。 もちろん、全てを同時にできれば良いのですが、リソースには限りがあります。今回登壇される皆さんが、ご自身の取り組みの中で「ここから始めると、変化が起こりやすい」という勘所を、どのように持っていらっしゃるか。 おそらく、登壇者それぞれに、明確に言語化されているかは別として、何らかのセオリー・オブ・チェンジをお持ちのはずです。それを共有することで、皆さんが現状の変え方をどう見ているのか、特に初期段階のインプットとして何を重視しているのかを、ぜひお伺いしたいです。

ASIBA 髙野: 面白いですね。それぞれのセオリー・オブ・チェンジの違いは、確かに議論の核心になりそうです。

栗本: そう、意外と違うと思うんです。そして、それが「アントレプレナー」のセッションであることの面白さだと私は考えています。なぜなら起業家は、自らの判断によってリソースの配分を決定できるからです。 これがもし行政機構であれば、本来の優先順位があったとしても、リソースをある程度均等に配分しなければならない、といった制約が起こり得ます。しかし、民間の起業家であれば、優先順位は自ら決定できる。そして、「なぜその意思決定をしたのか」を自らの言葉で説明できるはずです。その違いを、ぜひお伺いしてみたいですね。


11/20開催イベントの概要

『Towards Creative Entrepreneurship ークリエイティブ領域における社会実装の可能性と、その方法論を問う。』

Embedded Asset

マーケットや経済合理性だけでは解決が困難な物事に溢れた、いまの社会の中で私から始まる美学や感性、そして私たちを捉える社会への想像力を強いモチベーションに、ポジティブな未来社会を構築していくための、新たな選択肢をいま提示していくこと。 その実践的な行動や社会実装こそが、建築や都市、デザイン・アート領域の本来の価値であり、「クリエイティブ」という概念と姿勢のリバイバルなのではないだろうか。 いまこの瞬間にも、歴史上のクリエイターたちを超えて、数十年後を見据えた新たな文化を生み出す可能性を秘めた、独自の感性と熱意を持つ人々が確かに存在している彼らがクリエイティブ・アントレプレナーシップを発揮し、この混沌とする社会に新たな選択肢と希望を生み出していくためには、新しいエコシステムやファイナンススキームをデザインし、既存の業界構造や制度、仕組みをしなやかに変革していく必要がある。 “Towards Creative Entrepreneurship”

創造的な社会を、ここからデザインしていくために。 さあ、一緒に議論を始めよう。 日程:2025年11月21日(金) 13:00-20:40 主催:ASIBA、@カマタ 協力:一般社団法人デサイロ 後援:NPO法人ETIC. 会場:SHIBUYA QWS(渋谷スクランブルスクエア15F) 定員:各セッション最大50名/途中入退場可能 お申し込み:https://creative-entre.peatix.com/view